水面下では進んでいるので要注意

くだんの東京都の青少年育成条例改正案ですが、6月の議会に向けて、いろいろ動いているようです。
対抗して有識者によるシンポジウムも行われた様子。
http://www.itmedia.co.jp/news/articles/1005/19/news094.html
シンポでも述べられているように、問題点は明白。
販売規制と言いつつ、表現規制をやっているから悪法なんであって、販売規制なら現行の青少年育成条例で、きっちり行われているんで、わざわざ屋上屋を架すことはないんですよね。
都も必死になって表現規制じゃないよと取り繕っていますが、改正案に関する質問・回答集(FAQ)は茶番そのもの。
http://www.itmedia.co.jp/news/articles/1004/27/news049.html
条文で基準を明確にせず、曖昧な文言でやっているから問題なのであって、このFAQで示されたものは、しょせん担当者の勝手な判断。
こんなものは都の采配一つで、なんぼでも変えられるもの。
交通法規に喩えるなら、「みだりにスピードを出すことで歩行者の安全な通行を阻害する恐れのある車はスピード違反として取り締まる」という条文があったとします。
では、この法規で取り締まられるスピード違反とは、一体何キロ以上なのでしょう?
その疑問に対し、役所側は「老人の側を通るときは20キロ未満ならOKです」「子供連れの親子の場合、10〜30キロなら違反になりません」とか答えたとします。
でも実際にそのように走行したら、スピード違反として捕まったと。
なぜなら、条文には「何キロ」という定めはないので、現場の警官が「歩行者の安全な通行を阻害する恐れのある車」という文言に従って、判断して取り締まるからです。
都の条例案は複雑な背景と経緯が存在しますが、大きく言って次の二点が問題である限り、廃案にすべきなのです。
一つに販売規制と言いつつ、表現規制をしていること。
二つに条文に基準が示されてないこと。
こんなものは法治国家の法律ではありません。
この事象の含む問題の大きさは、あちこちで引用されているマルティン・ニーメラーの言葉が象徴しているでしょう。
「ナチ党が共産主義を攻撃したとき、私は自分が多少不安だったが、共産主義者でなかったから何もしなかった。
ついでナチ党は社会主義者を攻撃した。私は前よりも不安だったが、社会主義者ではなかったから何もしなかった。
ついで学校が、新聞が、ユダヤ人等々が攻撃された。私はずっと不安だったが、まだ何もしなかった。
ナチ党はついに教会を攻撃した。私は牧師だったから行動した―しかし、それは遅すぎた。」
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%BD%BC%E3%82%89%E3%81%8C%E6%9C%80%E5%88%9D%E5%85%B1%E7%94%A3%E4%B8%BB%E7%BE%A9%E8%80%85%E3%82%92%E6%94%BB%E6%92%83%E3%81%97%E3%81%9F%E3%81%A8%E3%81%8D