ネットイナゴか…言い得て妙

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ココロコネクト事件を見て、つくづく思ったんだが、まさにイナゴだなと。
炎上させ、畑を食い尽くし、満足すれば次なる標的を求めて去っていく。
新しい動きが無くなったんで、やや落ち着いたようだが、アマゾンのレビュー欄を見ても分かるように、焼け野原の有様。
コメントしている人間の名前をクリックすれば分かるが、星一つ付けている奴らはほぼこれだけのための捨て垢野郎。
結局、ネット上の不特定多数の悪意は、コントロールしようが無いんで、やられた被害者は諦めるしかない。
しかしこの不公正さはなんだ!大衆社会の悪意の極地だな。
インターネット社会のファシストは、特定のカリスマに指導されるのではない。
指導者なき群衆が、時々の雰囲気で「正義」を決め、圧倒的奔流となってすべてを飲み込むのだ。
これはヒトラーが生まれるよりもたちが悪い。
20世紀は大衆の社会だった。
21世紀は群衆(イナゴ)の社会というわけか。
確実に人類は社会的に退化しているとしか思えないな。

閑話休題。とあるモノに対する評価とは?

ある作品が素晴らしいと思ったとして、実は作り手が屑だと分かった時、果たしてその作品は素晴らしいのか素晴らしくないのか。
答えは「素晴らしい」。
例えば、とある名刀がのちに辻斬りに使用されたからとて、それが名刀で無くなるわけではない。
それと同じで、作品そのものの評価と、作り手とかその作品にまつわる周辺事情とかは、直接の評価たり得ない。
ところが日本人は非常に情緒的なので、物の価値と作り手がイコールでないといけないと考えるらしく、人格者だから素晴らしい作品が生まれるとか、あの人はけしからん人だから作品もしょうもないとか、平気でそういうことを言う。
ココロコネクトの山中Pが気に食わないからこの作品を買わないとか、eufonius菊池が頭おかしいから主題歌聞きたくないとか、平気で作品と結びつけて語る。
作品批評と、人物評価は別もの。作品は作品で独立した価値観を持つものだし、だからこそ後世に作品が伝え残る。
例えば美術館の名画は、作り手の人格とか普通は知る由もないが、我々はそんな事は知らなくても、その絵そのもので価値判断ができる。
別に私は山中Pやeufonius菊池の擁護がしたいわけじゃない。
私の、彼ら自身の人間としての評価は下である。
ついでに言えばヤマカンも下である。
だがヤマカンは下でも、かんなぎは上なのだ。BOXを買うほど素晴らしい作品なのだ。
作品が良いか悪いかは、前述のとおり、作品そのもので決まる。
これは大原則であり真理である。
これが分からん連中が多すぎる。
まあ昆虫(イナゴ)なんで知性が無いから仕方ないんだろうが。
とりあえず、ココロコネクトは素晴らしい作品なんで、面白いと思った人は雑音は気にせず買うべきです。